戦禍を乗り越えて(1946 -)
戦禍を乗り越えて(1946 -)
1945(昭和20)年8月、太平洋戦争が終結した。人々は戦後復興に向けて第一歩を踏み出したが、そこには伝染病という新たな試練が待ち受けていた。敗戦の混乱により衛生環境が悪く栄養も欠乏する中、天然痘、コレラ、発疹チフス、狂犬病などが流行し始めたのである。
北里研究所ではこれらの伝染病の蔓延を防ぐため、焼失を免れた本館でワクチン製造が昼夜を徹して行われた。現在もなお代表的な抗がん剤として臨床の場で広く使われているマイトマイシンなどの抗生物質が発見され、北里の新たな系譜が紡がれたのもこの時期である。戦後の混乱が一段落すると、戦火で焼失もしくは機能を喪失した施設の再建に取り組み、来たるべき飛躍の時期に向けた基盤整備が進められた。
1961年に新設された附属家畜衛生研究所は、製造部(後の生物製剤研究所)とともに北里研究所の財政基盤を支え、北里学園設立の一翼を担うこととなる。また技術者の養成のための各種学校を開設、教育事業への進出が始まった。
北里研究所ではこれらの伝染病の蔓延を防ぐため、焼失を免れた本館でワクチン製造が昼夜を徹して行われた。現在もなお代表的な抗がん剤として臨床の場で広く使われているマイトマイシンなどの抗生物質が発見され、北里の新たな系譜が紡がれたのもこの時期である。戦後の混乱が一段落すると、戦火で焼失もしくは機能を喪失した施設の再建に取り組み、来たるべき飛躍の時期に向けた基盤整備が進められた。
1961年に新設された附属家畜衛生研究所は、製造部(後の生物製剤研究所)とともに北里研究所の財政基盤を支え、北里学園設立の一翼を担うこととなる。また技術者の養成のための各種学校を開設、教育事業への進出が始まった。