中枢機関の構築(1970 -)
中枢機関の構築(1970 -)
1970年代、アメリカに次ぐ経済大国に発展し、医療・衛生環境においても世界の先進国の仲間入りを果たしたわが国では、伝染病や感染症の脅威は激減した。北里研究所、北里大学は研究対象をより広範な医療全般に広げるとともに、地域の中核となる医療機関を目指すなど社会的活動を活発化していく。この時期、今日の柱となる重要機関が続々と開設された。
北里大学においては待望の医学部が、医療機関として北里大学病院が誕生し、相模原キャンパスの規模が拡大。北里研究所では東西両医学の架け橋となった附属東洋医学総合研究所が創設された。水産学部の開学に伴う三陸キャンパスや畜産学部附属八雲牧場の開設など、現在につながる施設の整備が進められた。
北里大学においては待望の医学部が、医療機関として北里大学病院が誕生し、相模原キャンパスの規模が拡大。北里研究所では東西両医学の架け橋となった附属東洋医学総合研究所が創設された。水産学部の開学に伴う三陸キャンパスや畜産学部附属八雲牧場の開設など、現在につながる施設の整備が進められた。