北里柴三郎の門下生
北里柴三郎は、伝染病研究所から北里研究所時代まで40年余りの研究生活の中で多くの弟子を指導し、大勢の優秀な門下生を輩出した。
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北島 多一(きたしま たいち)Open or Close
明治3年
6月21日(旧暦)、金沢に生まれる明治27年
帝国大学医科大学卒業ともに私立伝染病研究所に入所明治30年
ドイツへ留学、マールブルグ大学のベーリングの下でコレラ、結核等研究明治34年
帰国
国立伝染病研究所部長、血清薬院技師、臨時検疫事務官等を兼務明治37年
「コレラ菌凝集価の変化について」の研究により医学博士号取得明治42年
「ハブ蛇毒の研究及びその血清療法に就いて」の研究により浅川賞受賞大正3年
国立伝染病研究所及び内務技師を依願免職
北里研究所の創立に参画、副所長に就任大正6年
慶應義塾大学医学科教授大正7年
政府の委嘱により、中国山西省の肺ペスト予防の指導にあたる
社団法人北里研究所の理事副所長昭和3年
慶應義塾大学医学部長昭和6年
北里の逝去により北里研究所所長、日本医師会会長、恩賜財団済生会医務主管を引き継ぐ昭和19年
慶應義塾大学医学部長辞任と共に名誉部長昭和24年
北里研究所所長を辞任し、名誉所長の称号を受ける昭和28年
文化功労者の栄誉を受ける昭和31年
10 月11 日逝去(86 歳)、勲二等瑞宝章受章
その他所外業務:学術研究会議会員、日本医師会会長、恩賜財団済生会医務主管、軍事保護院参与、厚生省食品衛生委員会委員、医薬制度調査会委員、中央衛生会委員、結核予防会理事
研究分野と業績:コレラ血清、破傷風の血清療法、結核牛の痘苗、結核血清反応の一新試験法、ジフテリア毒素、ツツガムシ病- 草 間 滋(くさま しげる)Open or Close
明治12年
2月25日、長野県筑摩郡寿村(現:松本市)に生まれる明治38年
東京帝国大学医科大学を卒業後、同学の山極教授の下で病理学を専攻明治41年
国立伝染病研究所に入所明治43年
ドイツ留学(フライブルグ大学で中毒性血栓の研究、次いでハンブルグ熱帯病学研究所等で研究)大正2年
国立伝染病研究所技師
9月 サイゴンに出張、極東熱帯医学会に参加大正3年
「中毒性血栓の構造発生及び意義」の研究により医学博士号取得
国立伝染病研究所及び内務技師を依願免職
北里研究所の創立に参画、北里研究所部長大正9年
慶應義塾大学医学部教授、病理学を担当大正10年
社団法人北里研究所理事大正15年
3月 ポーランド・ワルシャワに出張、その後、パリで国際衛生会議に参加昭和11年
10月8日逝去(57歳)
研究分野と業績:脚気病、コレラ、中毒性血栓の研究- 小池 毅(こいけ つよし)Open or Close
明治7年
現在の北海道寿都郡寿都町字歌棄に生まれる明治23年
済生学舎(現:日本医科大学)に入学、陸軍の三等軍医に任ぜられる明治27年
私立伝染病研究所の員外助手明治30年
ペスト調査のため台湾へ派遣される明治31年
2月28日、ペストに罹患し、逝去(満24才)
研究分野と業績:ペストの研究、著書『実用包帯学』を執筆- 古賀 玄三郎(こが げんざぶろう)Open or Close
明治12年
10月20日 佐賀県三養基郡基里村(現:鳥栖市)に生まれる明治32年
長崎第五高等学校医学部卒業し上京、築地林病院医員となる明治34年
盛岡市立盛岡病院の外科部長明治43年
医学研究の研鑽のため京都帝国大学医科大学に入学
大学在学中に特発脱疽の研究で難症の治療法を創始し、医学博士号を取得大正3年
2月 国立伝染病研究所入所及び依願免職
北里研究所創立に参画し部長となる大正9年
10月17日 大連市(中国)に於ける満州結核予防会の発会式での講演後、翌10月18日に駅で倒れ、10月21日逝去(41才)
研究と業績:特発脱疽の研究と治療法を創始、結核治療用の化学療法剤チアノクプロールの創製- 後藤 格次(ごとう かくじ)Open or Close
明治22年
3月4日、福岡県に生まれる明治45年
7月東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業後、国立伝染病研究所に入所大正3年
国立伝染病研究所を依願退職、北里研究所創立と同時に入所
北里研究所助手
鈴木梅太郎博士に師事し、秦佐八郎が開発した梅毒の特効薬サルバルサンの国内生産を目指し製法を確立し国産化に成功大正4年
アルカロイドの研究のため英国と仏国へ留学大正7年
帰国
アルカロイド特にシノメニンの化学研究を開始する大正14年
農学博士号取得昭和8年
シノメニンの研究により日本化学会より桜井賞を受賞昭和12年
社団法人北里研究所理事を務める(~ 1943 年)昭和18年
東京大学農学部教授昭和24年
社団法人北里研究所復職 1954(昭和29)年まで監事・理事を歴任
恩賜賞、日本学士院賞受賞昭和25年
日本学士院会員となる昭和29年
北里研究所名誉部長昭和37年
北里大学教授、1969(昭和44)年まで北里大学の評議員、顧問を歴任昭和40年
勲二等瑞宝章受章昭和44年
11月29日逝去(80歳)
研究と業績:破傷風毒素、溶血性連鎖状球菌、チフス菌- 小林 六造(こばやし ろくぞう)Open or Close
明治20年
4月25日、山口県に生まれる大正2年
京都帝国大学医学部を卒業後、国立伝染病研究所に入所大正3年
国立伝染病研究所を依願退職、北里研究所創立と同時に入所
北里研究所助手大正8年
社団法人北里研究所副部長大正11年
破傷風毒素の体内攻撃の研究により医学博士号を取得
破傷風血清、淋菌ワクチン等の製造を担当大正13年
慶応義塾大学医学部教授 細菌学教室及び臨床細菌研究室を兼務昭和10年
連鎖状球菌の研究、特に溶血性連鎖状球菌と溶血性腸球菌の研究により浅川賞を受賞昭和13年
社団法人北里研究所理事を務める昭和20年
社団法人北里研究所副所長を務める昭和22年
国立予防衛生研究所所長となる昭和30年
国立癩研究所所長となる昭和32年
慶応義塾大学名誉教授
日本細菌学会名誉会員昭和37年
社団法人北里研究所名誉部長となる昭和39年
勲二等瑞宝章を受章昭和44年
1月29日逝去(82歳)、従三位受章
研究と業績:破傷風毒素、溶血性連鎖状球菌、チフス菌、「犬胃に常在するスピロヘータに就いて」の研究、1919年に発表した論文「犬胃に常在するスピロヘータに就いて」は、現在のピロリ菌研究に大きなヒントを与えた。 - 草 間 滋(くさま しげる)Open or Close