北里柴三郎の門下生

北里柴三郎は、伝染病研究所から北里研究所時代まで40年余りの研究生活の中で多くの弟子を指導し、大勢の優秀な門下生を輩出した。

  • 佐伯 矩(さいき ただす)Open or Close

    明治9年
    9月1日、愛媛県伊予郡北山崎に生まれる
    岡山第三高等学校医学部(現:岡山大学医学部)を卒業
    京都帝国大学医科大学医化学教室の荒木寅三郎に師事

    明治35年
    国立伝染病研究所に入所

    明治37年
    大根からディアスターゼを発見、その後、牡蠣のグリコーゲンを発見

    明治38年
    国立伝染病研究を退所して、渡米しエール大学科学部大学院に留学
    博士号(Ph.D.)取得

    明治44年
    北米合衆国政府農商務省技師、ニューヨーク州のベンダー研究所技師、アルバニー医科大学講師、等を歴任
    帰国

    明治45年
    「甲状腺と新陳代謝、他」の研究により、医学博士号取得

    大正3年
    世界初の私立の栄養研究所を芝区白金三光町に設立

    大正5年
    私立の栄養研究所を芝区金杉川口町に移転、栄養療法を実施
    我が国初の「栄養学講習会」を開催

    大正9年
    国立栄養研究所を創立

    大正13年
    栄養指導の専門家養成のため、佐伯栄養学校を開設(世界初)

    昭和15年
    国立栄養研究所は廃止されて厚生科学研究所の国民栄養部となり、佐伯は退官する

    昭和34年
    11月29日急性肺炎のため逝去(83歳)



    研究と業績:酵素、アミノ酸等の研究、栄養食設定の研究、米の調理と消化吸収の研究、雑穀、米糠、動物性蛋白質の研究、「栄養専門語」の創作

  • 志賀 潔(しが きよし)Open or Close

    明治4年
    2月7日(旧暦明治3年12月18日)、宮城県仙台市に、佐藤信の五男として 生まれる(幼名は直吉}、後に母の実家を嗣いで改名し、志賀潔と名乗る

    明治19年
    宮城中学校卒業と同時に上京、ドイツ語学校に入学

    明治29年
    東京帝国大学医科大学を卒業し、私立伝染病研究所に入所

    明治30年
    赤痢菌発見

    明治34年
    ドイツへ留学し、エールリッヒに師事、化学療法の研究を3年間続ける

    明治38年
    帰国、医学博士号を取得

    明治45年
    万国医学総会(於、ローマ)に出席後、半年間ドイツへ再留学、フランクフルトのエールリッヒのもとで結核の研究を行う

    大正2年
    帰国

    大正3年
    国立伝染病研究所を依願免職、北里研究所創立に参画、部長

    大正9年
    慶應義塾大学医学部教授、細菌学を担当
    朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校長

    大正13年
    平和条約実施委員として第三回国際赤痢血清委員会に出席、帰途、京城に帝国大学を創立する目的で欧米の大学等を視察する

    大正15年
    京城帝国大学創立、当初は医学部長として微生物学及び予防医学を担当

    昭和4年
    京城帝国大学総長(~ 1931年)

    昭和6年
    北里研究所顧問(昭和20年(74歳)まで細菌学の研究を続ける)

    昭和19年
    文化勲章を受章

    昭和23年
    日本学士院会員

    昭和24年
    仙台市の名誉市民

    昭和32年
    1月25日、逝去(86歳)、仙台市民葬、勲一等瑞宝章を受章



    研究分野と業績:赤痢菌発見、世界初の化学療法剤トリパンロート創製、赤痢血清、結核等国外からの栄誉:マニラ医学協会名誉会員、イギリス王室熱帯病学会名誉会員、パストゥール研究所賛助会員、ベルギー学士院名誉会員、ドイツ学士院自然科学部特別会員、ウイーン細菌学名誉会員、ハーバード大学名誉博士

  • 柴山 五郎作(しばやま ごろうさく)Open or Close

    明治4年
    8 月15 日(旧暦)、栃木県下都賀郡絹村に生まれる

    明治31年
    東京帝国大学医科大学を卒業し、私立伝染病研究所に入所

    明治34年
    国立伝染病研究所、部長(研究と共に臨床部も)

    明治39年
    英領インドにペスト病調査のため派遣される

    明治40年
    「抗血清の働き方について」の研究により医学博士号取得

    明治41年
    東洋熱帯医学会(於、フィリッピンのマニラ)出席
    オランダ領バタビアに脚気病調査のため派遣される

    明治44年
    満州に肺ペスト病調査のため、北里博士に随行

    明治45年
    勲四等に叙される

    大正2年
    3月6日逝去(41歳)



    その他所外業務:臨床部第二部長、海港検疫官、臨時防疫技師、臨時防疫事務官、神奈川県技師警視庁技師
    研究分野と業績:コレラ、ペスト等、柴山五郎作(著) 北里柴三郎監修『最近之肺結核治療法』