北里柴三郎の門下生

北里柴三郎は、伝染病研究所から北里研究所時代まで40年余りの研究生活の中で多くの弟子を指導し、大勢の優秀な門下生を輩出した。

  • 野口 英世(のぐち ひでよ)Open or Close

    明治9年
    11月9日、福島県耶麻郡猪苗代町に生まれる

    明治26年
    会津若松の会陽かいよう医院の渡邊 かなめに書生として入門
    薬局生となり、医学・英語・仏語を学ぶ

    明治29年
    上京し、医師開業前期試験に合格
    血脇守之助の好意で高山歯科医学院(現:東京歯科大学)の学僕(※)となる
     ※(師の家で働きながら勉学する)

    明治30年
    済生学舎(現:日本医科大学)に入学、医師開業後期試験に合格
    高山歯科医学院の講師となる
    順天堂医院に勤務

    明治31年
    私立伝染病研究所に入所
    幼名の「清作」を「英世」に改める

    明治32年
    フレキスナー博士来日、通訳を務める
    長浜検疫所(横浜)でペスト患者よりペスト菌を分離(その功績によりペスト調査隊に任命され、清国のニューチャンへ出張)

    明治33年
    12月、渡米し、北里柴三郎の紹介状を持参し、フレキスナーの助手となり、蛇毒の研究を開始する

    明治35年
    ペンシルバニア大学病理学助手

    明治36年
    デンマークの国立血清研究所へ留学

    明治37年
    ニューヨークのロックフェラー医学研究所助手

    明治44年
    「蛇毒の血液溶解作用他」の研究により日本の医学博士号取得
    梅毒スピロヘータの純粋培養に成功

    大正2年
    脳脊髄からスピロヘータを分離

    大正3年
    ロックフェラー医学研究所研究員
    日本の理学博士号取得

    大正4年
    帝国学士院恩賜賞受賞のため、15年ぶり一時帰国(9 月~11月)
    勲四等に叙せられる
    旭日小綬章受章

    大正12年
    帝国学士院会員

    大正14年
    正五位に叙せられる

    昭和1年
    オロヤ熱病原体を発表

    昭和3年
    5月21日、アフリカのアクラで客死 (満51才)
    勲三等に叙せられ、旭日重光章受章



    研究分野と業績:ペスト、蛇毒、梅毒、オロヤ熱、黄熱病、著書『毒蛇及び蛇毒』、『梅毒の血清診断』等を執筆

    長浜検疫所(横浜)でペスト菌に感染した患者を発見し、日本上陸を未然に防いだ。
    アメリカ留学希望の野口に北里柴三郎は、アメリカ友人宛の推薦状を書いて持たせた。